川原湯温泉物語
1193年(建久4年)、源頼朝が浅間狩りの折、今の川原湯を通りかかりました。その時、山の中腹から湯煙が出ているのに気づき温泉を発見しました。
また、頼朝はそばにあった大きな石に着物を掛け、湯に入ったので、その石を「王石(若しくは衣掛石)」と呼ぶようになりました。しかし、この石は昭和の始め道路拡張時に土中に埋めてしまい、今は見ることができません。
温泉発見から約400年後のある日、突然温泉が止まり、困り果てた村人が温泉の臭いがゆで卵に似ていることから川原湯神社に鶏を奉納し、お祈りをしたところ、再び温泉が噴き出ました。
その時のお祝いで初めは「お湯わいた、お湯わいた」と言って喜びましたが、そのうち「お祝いだ、お祝いだ」と言って皆でお湯をかけるようになりました。これが奇祭『湯かけ祭り』のはじまりということです。
現在は、吾妻川の渓流沿いに十数軒の温泉宿やホテルが軒を連ね、夜にはムササビが活動する静かな山あいのいで湯です。泉質はカルシウム・ナトリウム硫酸塩泉で「草津の仕上げ湯」として親しまれ、若山牧水をはじめ多くの文人墨客が訪れましたが、ダム建設のため消えゆく運命にある幻の温泉郷です。
北軽井沢物語
北軽井沢は、大正時代まで「地蔵川」という地名でした。法政大学の教授や関係者らによる別荘村(大学村)ができた頃、別荘に来る人たちが北軽井沢と通称で呼ぶようになったのです。
その後、その呼び方が定着したので昭和61年に長野原町が南部地域を『北軽井沢』に正式変更しました。
大正時代には、草軽電鉄(草津~軽井沢間)が開通、昭和初期頃から避暑地、別荘地としてにぎわい、岩波書店創業者の岩波茂雄や劇作家の岸田国士ら、たくさんの文化人が別荘を建てました。
戦後は、多くの海外引揚者や疎開者がひとかたならぬ苦労を重ね、現在の農地や牧場を入植・開拓しました。目の前に広がるこの美しい光景の陰には、先人の大変な努力があったことも北軽井沢の歴史を語るうえで避けることはできません。
避暑地として恵まれた環境は多くの人々を魅了し、別荘がまたたく間に増えましたが、昭和32年、草軽電鉄は廃止されてしまいます。しかし、自動車や道路整備などモータリゼーションの発達は、周辺の観光地と北軽井沢をつなぎ、新しい時代の避暑地へ進化することとなったのです。そして自然を大切に残す北軽井沢の魅力は、いまでも多くのファンに愛されています。
長野原町へのアクセス
| 川原湯温泉方面 | ||
|---|---|---|
交通 |
所要時間 |
おおまかな道のり |
| 電車 | 約時間30分 (上野駅から) |
上野駅→(JR高崎線)→渋川→(JR吾妻線)→川原湯温泉駅 ※上野駅から乗り換えなしで来ることができる特急が便利です。 |
| 約2時間 (東京駅から) |
東京→(長野新幹線)→軽井沢駅→(バスまたはタクシー)→長野原草津口駅→川原湯温泉駅 ※バスが運行しない季節があります。バスを利用される場合は、事前に調べる必要があります。 |
|
| バス | 約4時間 (新宿駅から上州ゆめぐり号) |
新宿→練馬→渋川→伊香保温泉→中之条→川原湯温泉→長野原町役場→草津温泉 |
| 車 | 約1時間(約40km) (渋川伊香保ICから) |
渋川伊香保I・C(関越道)→国道17号→鯉沢信号左折→国道353号→国道145号→川原湯温泉 |
| 約1時間30分(約60km) (碓井軽井沢ICから) |
碓氷軽井沢I・C(上信道)→松井田軽井沢線→国道18号→国道146号→国道145号→川原湯温泉 | |
| ※時間・距離は目安です。交通事情等により所要時間は異なります。 | ||
| 北軽井沢方面 | ||
|---|---|---|
交通 手段 |
所要時間 |
おおまかな道のり |
| 電車 | 約3時間 (上野駅から) |
上野駅→(JR高崎線)→渋川→(JR吾妻線)→長野原草津口駅→(バスまたはタクシー)→北軽井沢 ※上野駅から乗り換えなしで来ることができる特急が便利です。 |
| 約1時間30分 (東京駅から) |
東京→(長野新幹線)→軽井沢駅→(バスまたはタクシー)→北軽井沢 | |
| 車 | 約1時間30分(60㎞) (渋川伊香保I・Cから) |
渋川伊香保I・C(関越道)→国道17号→鯉沢信号左折→国道353号→国道145号→国道146号→北軽井沢 |
| 約1時間(約40㎞) (碓氷軽井沢I・Cから) |
碓氷軽井沢I・C(上信道)→松井田軽井沢線→国道18号→国道146号→国道145号→北軽井沢 | |
| ※時間・距離は目安です。交通事情等により所要時間は異なります。 | ||
問い合わせ先
長野原町役場 産業建設課 観光商工グループ
℡0279-82-3013




