やんば天明泥流ミュージアムロゴマーク

ミュージアムについて

About The Museum

やんば天明泥流ミュージアムについて

やんば天明泥流ミュージアムについて

長野原町では八ッ場ダム建設工事にともない、平成6(1994)年から令和元(2019)年までの26年間、公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団や町教育委員会により、大規模な発掘調査が行われました。
吾妻川沿いを中心とした約100万㎡にも及ぶ調査区からは、縄文から江戸時代までの遺跡が折り重なるように見つかり、特に江戸時代の天明3(1783)年、浅間山の大噴火により発生した「天明泥流」に埋没した村落が広範囲に発見されました。
本館は、調査成果をもとに被害の全貌を紐解きながら、当時の村々の景観や人々の暮らしを今によみがえらせ、体感していただくことを目的としてつくられたミュージアムです。

長野原町第一小学校旧校舎

長野原町立第一小学校旧校舎

明治44年(1911)年に建てられた県内最古級の木造校舎。
八ッ場ダム水没地より一部を移築・保存し、ミュージアムに併設されました。本校出身者で「上毛かるた」の生みの親である浦野匡彦(うらのまさひこ)氏の紹介をはじめ、小学校や町ゆかりの資料を展示します。

「天明泥流」とは

やんば天明泥流ミュージアムについて

江戸時代後期、天明3年。群馬県と長野県の県境にある浅間山で大噴火が起こりました。歴史上稀にみるこの大きな噴火は、「天明の浅間焼け」と呼ばれています。 8月5日(旧暦7月8日)、浅間山北麓で起きた大爆発により土石なだれが発生。ふもとの鎌原村を襲ったのち吾妻川に流れ込み、泥流となって吾妻川さらには利根川を流れ下りました。これら「鎌原土石なだれ」・「天明泥流」によって、浅間山北麓や吾妻川・利根川沿いで死者1,500名以上、被害家屋2,000軒以上の大きな被害が発生しました。

天明泥流の画像
天明泥流の画像
天明泥流の画像
天明泥流の画像

発掘調査された遺跡

発掘された遺跡類

八ッ場ダム建設工事にともなう発掘調査は、吾妻川両岸を中心に約100万㎡で行われ、縄文時代草創期(約12,000年前)から江戸時代後期までの様々な時代の遺跡が発見されました。そのなかでも特徴的なのが、厚く堆積した泥流層の下から江戸時代の家屋や畑を含む村落が広範囲で発見された「東宮遺跡」「西宮遺跡」「石川原遺跡」などの遺跡群です。